「他人(ひと)の子を叱れるか~ちびまるこちゃんから。」

 今日のちびまるこちゃん

 ↑のような テーマでやっていた

 私もたまたま 子どもの横で見ていた


 あらすじとしては こうだ


 いつも 叱られる まるこ

 ある時 自分をいつも叱る母が 
 
 自分と同じシチュエーションで 他人の子を叱らない場面に

 遭遇する


 不公平感を持ち 率直に 母に 不満を漏らす まるこ

 母は たしなめつつも おばあちゃんに まるこの言うことは もっもよねぇと 話し

 おばあちゃんも 共感する


 そして 日が変わり 

 道ばたで けがをさせかねない 他人の子が 登場 

 母は 間髪入れずに その子らをたしなめ 遅れて登場した その子たちの母も

 
 まるこの母の行動を 是認する

 まるこも納得 

 一件落着 そんな話だ


 前段を 見ておらず 第一の 母が叱らなかった 場面を見逃したので

 なぜ は 消えないのだが

 おそらく その一回目は 「危険(生命の)」ではなかったのではないかと 自分の経験から 考えた


 私も 他人の子は そうそう 叱ったことがない

 が ないわけではない

 一番最近(といっても下の子が 保育園に入園したてだから4~5年前か)で


 その我が子を たたこうとした 別の園児がいて

 一発 かなりの剣幕で 

 どなったことくらい か


 核家族少子化が すすみ

 今の世の中 

 親が 我が子の側にいない というのは あまりないことである


 育ての親が 目の前にいる中で

 叱りとばせるものではない 

 相手の教育の機会を 奪うような行為に感じてしまう


 幸い 今まで 

 新聞の投書で読むような いかにも ひどい 親子には 巡り会ったことがない

 たとえ その場で叱れていない 親であっても

 
 その行為を 最後まで見ていると

 何らかの 子を何とかしようとする 何かを

 行う 親ばかりであったように思う

 
 大家族 という存在が 

 もはや 死語 となりつつある 現在

 「いけない行為」を規制し 社会的な規範を 子に知らせる責務は


 親代わりの 長兄ではなく 近所の おやじさん でもなく

 親以外に ありえないのではないだろうか

 無論 地域で 地域の子どもを 温かく包む というのは 私も理想として 参画を続けたいが 

 


 


 ちなみに 私は

 我が子に 0.5秒で 怒鳴り 他人の子なら 20秒くらい 状況を見てから 叱る

 親でありたい