「殺したいから、殺す。~父親おの殺害流行?~」

 私は父親だ

 2件続いた殺人に

 我が子は と思わずにはいられない


 殺したいほど憎む という感情は 誰しも経験がある はずだ

 実際に 踏み切らないだけで

 多くが 今後のこと 相手の痛みのこと 色々考え 二の足を踏む 当然だ 人間だもの


 殺したい と胸に思い抱くのは 「怒り」の現れ方のひとつ

 「怒り」は 人間が生きていく上で必要な感情だ

 「怒り」という感情を 表現できず(あるいは拒否して) 行き詰まる人もいる


 怒る方法なんて 誰も教えてはくれない

 How to「悲しみ」はトレンドなのか 情報が多い 「喜び」に至っては あふれているといって良い
 
 しかし「怒り」は 目で見て 耳で聞いて 主に実体験から 学び取るものなのだ


 ちょうど 斧の事件のように

 まず「怒り」の素がある そして上手に十分に「怒れ」ていない現状   

 そんな人は 知らず知らず また積極的に 潜在的に 表し方を探しているのだ エネルギーの逃げ場

が必要なのだ 

 
 そんな中 先駆者的と感じる事件がある

 「ぴったり」と思うのか

 この事件は そんな感じで起こったのか


 
 殺人経験のある人は いても

 殺害された経験のある人は そういない もしいても 心が傷つき どれだけの痛みだったのかについ

て客観的に語ることなど できまい

 誰も知り得ないのだ 殺されることなど

 
 しかし考えることはできるはずだ 人間だもの
 
 「共感能力」 

 この能力が 欠けている 


 単に 子が親を殺した ということが問題では無いのだ

 ただ 親は知っておかなくてはいけないだろう

 親は容易に 子の尊厳を奪ってしまえることを 共に暮らす相手として 常に配慮が必要だと


 前述のように

 「怒り」を学ぶのは容易ではないが 必須である

 子の前で どんな「怒り」を見せるのか 世の「怒り」にどう反応するのか 


 試されている 

 父