「かくして社会は流れる。~函館高3殺害~」

 ただ ただ 絶望する

 「人」はここまで墜ちてしまうのか

 ただ ただ 悲しい


 この子が殺されるまでに

 いくつもあったことだろう

 「生」への分岐点が


 事件のあらましが明らかになって行くにつれ

 暗く暗く なっていく

 弱い者を ただひたすらに なぶる その雰囲気  よく胸に伝わってくる 


 言いようのない叫びが 

 少年の口からは 漏れたに違いない

 今やっと苦しみから解放されたのだ少年は 


 「死」が「幸せ」に思えるほどの苦しみは

 かえって共感を生まなかったのか

 側にいた「傍観者」は「傍観者」という立場に徹することで 「人」たらんとしたのだろうが

 こんな「不作為」があるはずはない 明確に 共犯だ


 

 これは おかしい

 しかし 日々日常は流れている

 学校は通常通り JRも 空の便も動いている


 私思うのだ おかしいと

 

 ゴミが落ちている 拾う

 そこには 「気づき」がある

 立ち止まって拾わなければ と    立ち止まって



 高3の少年が亡くなった

 社会は 普通通り流れて良いのだろうか

 立ち止まらなくて良いのだろうか


 
 「遺憾の意」で済まされることではない

 「○○委員会で検討して・・・」と時間を掛ければいいことでもない

 
 あらゆる活動を止め

 考えなくてはいけないのではないのか

 
 総裁選よりも大事な問題が

 今 流されていこうとしている

 普通の日常が 続く


 
 この少年と共に生きよう

 そう思う

 少し分かってきたこの事件が 頭から 離れない