「同時テロ。牛歩。」

 皆目分からないが 考えたい

 「歯には歯を」なのか

 「人類皆兄弟」なのか


 直接被害を被った人々は前者を

 「外」から見ている人々は後者を

 というと 必ずしもそうではないが


 多くの議論は上記のごとく 二極化しがちであろう

 
 そもそも「平和」というのは無理なのだろうか

 これまで体感してきた多くの悲劇を 教訓にできないのは なぜなのだろう

 あたりまえか


 国家 テロの主体となっている諸団体 

 両者とも 人々の集まりだ

 割って割って割って割って 最後は一人


 争いのない社会など ありえない

 「けんか」しないで大人になった人がこの世にいるだろうか

 誰しも人を罵り 時にはささやかであっても暴力的な行為に及んだことがあるはずだ


 自分も傷つき

 そうして他人の痛みを知っていく 

 謝罪することで「免罪」を得る経験も積む そうして他人を許せるようにもなる


 一つの「信念」で多くの人命が失われる

 「ジハード」と信じた若者が死んで アメリカは頭を下げるのだろうか 

 アメリカ並びに「対テロ包囲網」に加わる国家群が 

           ビン・ラディン氏を殺せば テロリストと呼ばれる人々は 銃を置くのだろうか


 世界はまだ 他人の痛みのなんたるかの答えを つかめずにいるのだ

 つかめるはずもない 傷つけ傷つき合いによって 「信念」を持っている指導者は傷つかない 

 「自分」が殺される順番が来るまで その「気づき」は訪れない


 相手の「ごめんね」を聞くまで

 終わらないのだろう

 やめないのだろう


 「誰」が「ごめんね」すれば終わりなんだろう

 それさえ分からないのに

 ただ「ごめんね」が聞けないばっかりに 戦いはつづく


 決めぜりふの「ジハード」

 押さえ込みの「十字軍」

 何世紀前の戦いが 終わらない


 心の中で

 祈りたい

 1つの「ごめんね」を 


 「信念」に拠らない素直な「ごめん」を 

 ただ ただ 終わりにしたい

 これまでに失われた「命」の重さを 感じて


 忘れられない日に 思う