「遺憾の意」。なんだ、それ。と私は思ったのだ。
地方の病院と自治体が(人道的見地から)考え抜いて稼働させたシステムを中央の方々が批判した。
法的にもクリアしているのである。その存在は。
もとより3000軒必要な施設ではない。
「子どもの将来を最優先しよう。」そのために、私たちはどんなことができるのか。
その一つの選択肢として設置されたシステムなのである。
倫理的な話は置かせて頂きたい。
「親と子どもは不可分だ」との考えから、「こんなシステム反対」と述べる人。少し待って頂きたい。
そりゃあなたは捨てません。上のように考える人は。
しかし、現実に捨ててしまう人がいる。殺してさえしまう人がいる。愛情さえ不確かなまま。
現実にあることは、否定できない。私も理解できないが、存在していることは認めざるを得ない。
「親と子は不可分」の考えでは推し量ることのできない親子関係があるのだ。
私は「こうのとりのゆりかご」の取り組みが、現実を直視し「子ども」を救おうとする行為だと思う。
今回の3歳の子どもの件で「遺憾の意」を示した方は、どんな代替案を示してくれるのだろう。
子どもを「今」救える案を。
3歳の子どもが、真の意味で「こうのとり」を必要としていたかは不明だ。
しかし、世論に迎合し、地方の「真面目」な取り組みを一方的に批判するのはどうだろう。
十分に相談してから利用をという自治体の意向も、実はナンセンスである。
今、始まったのだ。この子への取り組みが。
十分に機能しようとしているではないか。
今踏みとどまって、この子を幸せへと導いてあげて下さい。お願いします。