「アハ体験で教育?」

「アハ体験」なる脳への刺激が

 話題になって しばらくたつ

 N○Kの「トップランナー」で 司会(?)を務めた 茂木さんが広めたものだ


 あまりに耳にするものだから しばらく前のTVで 珍しく見続けていると

 なるほど 面白い

 「アハ」という響きも良い


 私的に「アハ」は くすっと笑ってしまったり 意外な雰囲気の語感がある

 その面白さに「アハ」ってすごい としばらく思っていたのだが

 最近 何だか この体験に???と思うようになってきたのである


 無論 「アハ体験」をけなす気はない

 著作の一行も読んでいないのだから

 この点 気楽にこの記事を読んで頂きたい

 
 

 まず 茂木さんがTVで 視聴者に訴えるていることが 放送されていることが

 また彼の伝えたいことの一部と定義する

 そうすると 彼の言っていることははトンでもない ような気がするのだ

 
 特に子どもに対して


「経験の否定」のような気がして

  
 我々大人は ある程度 年齢を経 物事が思い通り行かないことを 経験的に知っている

 知っていて 我を張り 強引に事を運ぶのも それもまたありだ

 責任のとり方だって ある程度分かるのだから 自分の土俵のなかで 好き勝手ができる


 そんな大人の凝り固まった頭への「アハ体験」はOKな気がする



 しかし 成長過程の子どもに

 この体験が勧められるか というと 私は勧めない

 一つ例を挙げよう

 
 畑で 作物を収穫する為に 必要な知識・インスピレーションを

 「アハ体験」で獲得できるか

 実際に土にまみれ 種を蒔き 虫たちと戦い時に手を握る 数年単位の経験を経ずして


 大人は感じている 自分のあの経験は「アハ体験」だったなぁ 的なことを

 新しいものではないのだ タグが付いただけである

 普通に生きていこうと思えば その過程で 必ずこの感覚を知覚している


 大の大人が 「アハ体験」を誰彼問わず勧めては いけないのではないか

 毎日の人生をただ大切に生きて欲しい

 そんな願いのもと 子どもに接し 手で感じる体験を 私なら勧める


 私が感じてきた実地「アハ体験」は 常に挫折感の近くにあった

 半端な挫折ではなく

 真に自分の無力感を感じた後に それは訪れたように思う


 「アハ体験」と「実生活」

 それは不可分なのだ

 それがTVでは 抜けている部分に 危惧している


 いい着眼だけに

 惜しいなぁ と

 思う


 所詮TVだから そう思ってしまうのだろうが 

 TVだからこそ

 なんでも放送してはいけないのだ