判決の後
遺族の頭に 浮かんだことを
知らず知らず 自分に置き換えて考えていた
「死刑」
その判決が下された時
まてよと
まれにみる 凶悪犯罪が 一瞬で昇華できるのか
無論
「死刑」に至るまでの葛藤等
死罪を受けたものが 執行に至るまで心的ストレスは 大きなものであろうが
釣り合わない
無期懲役ならば
24時間束縛された状態を死ぬまで 強制することの方が
釣り合う ?
わけもない
管理された生活を送ることは
ある意味 健康にとって益であろう
今後の数十年 犯人の懺悔に 被害者の視点で終始付き合う刑務官も いないだろう
刑法 というものが
罪を罰する という方向よりも
罪に至る なにがしかの 悪 を更生に導くことを重視することは 知っての通りである
裁判に恨みを晴らしてくれる何かを 期待することは できないし
のぞむものではない と分かっていつつも
審判は 進んでいる
何かの 区切りをつける為に
その区切りを受け入れる/受け入れない というよりも
自らの存在によって 少しでも 犯人に精神的苦痛を与える
それが 裁判を続ける目的なのだ
犯人を傷つけたい
それのみで
と 思った
あの父親は 裁判が半永久に 続くことを
のぞんでいるのではないかと
勝手に 想像 している
被害にあった二人に
捧げる言葉もない
ただ ただ かわいそうだ