一歩の長さ

 どんな人間も、歩く(進む)。
 「歩く」という言葉が好きだ。方向は、前だ。後ろ向きに歩く。というのは、妙な語感だ。だから、ベクトル的に「歩く」は前なのだ。
 時に後ろを振り向こうとも、前へ進む。ちょっと立ち止まってみると、意外に進んでいる。「一歩一歩」だよ。と励ますときにも使う。難題にぶつかった時、人は、知らず知らず、または意識的に、その問題をスモールステップにしようとする。つまり、小分けにして考えるわけだ。いきなり「できあがり」ではなく、「これして」「ああして」「そうやって」「こうなった」と。遠道なようだが、完成・結論に至る確実な方法だ。「困難は分割して考えよ」とデカルトさんも言っている。ちなみにデカルトについて私が知っているのは、この言葉くらいなものだが。
 人間に、スーパーマンはいないのだ。と思っている。トータルで見ての話。一芸に秀でているという人は結構いるのだが。「完全な人間」などいないと(いたらお目にかかりたいが)。大きなことほど、人は「積み上げ(一歩一歩)」のなかでそれを行い、かたちにしてきたのだ。「人間」が進化し、ここまで勢力を大きくできたのは、この力に依るところが大きいのだろう。「集団」で一つのことを行う(狩り等もそれ)ことも広義のスモールステップ化だ。
 そんな生き方が出来れば、人生も豊かに出来そうだ。「工夫」のし甲斐もある。「歩く」という気持ちの姿勢で、自分の力以上のことができることもある。変に「味」をしめると大変だが。