#地震

「大震災一年目の今日に」

共感能力は「割に」あるほうだと思うのだが 自分のモノとして捉えきれない 底なしの そのかなしさ 辛さ 1年立っても 被災地の傷は 癒えるわけもない 現地のご老人の「絆って言われても…」という記事をどこかで見かけたが 心が痛む 思いやり 気遣いが 全く逆…

「そう そのとおりなんだと思う。東北の震災に」

「悔恨」が溢れる この歌 「生きる」ことからは 離れられないし それは 苦しみか よろこびか という択一 にするならば それは後者と 捉えるしかない という 一種 拷問の中で こぼれ出てしまった 開き直りのような 結論 ようやく出た その「答え」 なのだけど…

「別れ。東北の震災に」

被災していない私だが 心の“揺れ”の余波は ふっと やってくる 多くの別れに ただただ 心が痛い

「雨がふる。東北の震災に」

大きな悲しみに包まれた方達は どう我を取り戻していくのだろう 一つ避けて通れないものに 「今」を見つめることがあるのかもしれないと。 どれだけ 離れようと思っても あの日は 身体を 心を 離さない 失われたものが どれだけ巨大であっても その辛苦を飲…

「君が笑ってくれるなら。東北の震災に」

震災に遭われた方々の痛みは 癒されようもない どれだけの祈りが 東北を向こうとも 助からなかった人たち 助からないことすら 確かめてもらえず 埋もれる人々 確かめたくないのに 確かめようという衝動を抑えきれない方々 ただただ 心が痛い

未曾有の災害に。

行方不明の方々へ あきらめないで 助けを求めて 今 誰もが できる限りを尽くして 探しているから 全ての 途方に暮れている方々へ 早く安らげる場所に 戻れることを 寒さが身に染みますが もう少し もう少し …

「水は貴重ナリ。」

これまでの人生で 最もおいしいものは何かと問われたら 「水」と答えるだろう 無論 あれこれと うまいものはあるのだが 問われ答える段になると そう答えるだろう 年を取ると やけ食いができなくなる 一食当たりの量が減る となると 一回の食事の質にも 配慮…