「夕張」に思う「日本」

 夕張市の「倒産」で、何が分かるか。
 一言で言うと、今後夕張市の皆さんは、非常に「住みにくく」なるわけだ。自治体の借金を、税金でまかなうのだ。これは、別におかしな話でも何でもない。選挙で新任された首長・議員で構成された議会。自治体最高の(最善の、ではない)意思決定機関が決めた「支出」の責任は、その方々を選出した有権者が担う。議会制民主主義の制度上、当然だ・・・しかし、本当にそうなのか。夕張のケースは、地方自治体という規模で起こったが、これが「日本」という「国家」規模で起こったら、どうなる。あなたは、「一国民」として責任を取れますか、という話なのだ。夕張なら、他の「市」に引っ越して別の「市民」になれるが(そう簡単ではないですが、理屈上のはなし)、「国民」は?国外逃亡?
 選挙は行く。投票速報も、まぁ、見る。しかし、自分の「一票」が当選に結びついたなどと実感した選挙はない。そんな人が多いのではないか。なぜなのか?
 それは「選挙」を「個人戦(候補者間の)」としてとらえているからだ。「選挙」は「騎馬(政治団体)戦」なのである。首長およびそのブレーンたちが考えた政策・政治的決断も、議会で承認されなければ、世に出ることはない。かといって、何も承認・決断されなければ「政治的空白」生まれる。必要だから政策立案を行うのだ。「空白」があって良いわけがない。だからとりわけ「空白」が許されない「国家」に関しては、第一党が政権を担うのだ。議会の過半数を超えなければ、「団体」同士の連立もある。とにかく、議決できればいいと思っているのだ。第一党の政治家は。極端に言えば、個々の議員さんの政策に関する資質は直接の「政治」には関係ない。「政策団体」内での影響力の大きさがものを言うのだ。「政策」を決められる(議決できる)のは、「団体」の力だから。
 話が横道に逸れた。戻そう。結局、失政があったばあい、「政策団体」とその「支援団体」の責任が問われても良さそうなものだが、そうはならない。「夕張」の二の舞になっては困る。
 私が最も「夕張」の人が気の毒だと思うところは、「公的サービス」の質の低下である。みなさん「○○(市・県・国)って住みやすい場所」だよ、なんて話を聞いたことはないだろうか。その一つの理由に、その場所の「公的サービス」の質の高さがあげられると思う。「どこに住んでも同じ」ではないのだ。税金をどんな方向で使っているのか。単純だが、そこが全てだ。しばらく前、「新幹線新駅誘致反対を掲げた首長が当選した」というニュースが流れた。「ダム建設が決まっていたのに撤回の公約を掲げた首長が当選した」というのも話題になった。ニュースとしての取り上げられ方としては「政治的に決着していた既定路線を覆した」というところがなのだが、側面の「どうしてそうしたのか」という部分は、あまりクローズアップされない。これらは、いずれも「税金の使い道」を「住民の住みやすさ(公的サービス向上)」にシフトしてほしいという住民の期待からの結果だったのである。結果はまだ分からないところもあるが・・・。これが本当の選挙だろう。その地域に住む住民が、「団体」を考慮せず、自らのことを考えて投票したのだ。しかし、これが難しい。地方自治体なのだ。つまり、議会議員の選挙は別なのだ。既得支持層を抱える「議会議員」の選挙は、一発勝負の首長選挙とは様相が異なる。結局は首長選挙の真の行く末を見守ることが出来ないということになる。
 結局、どうにもならない。私は「日本」が「破産」しませんようにと祈る自分勝手な人間である。