「婚活苦で死人が出る前に。」

 なんだかしばらくブームらしい

 しかし 様々な媒体を通して私の目に映る 耳に聞こえてくる

 その過半が 「煽り」になってきた


 ブームの終盤に

 なんとか 稼ごうとする

 このブームに載ろうとする 方達の焦りが 感じられる


 先にどこかの番組でやっていた ドキュメントでは

 婚活を通し「結婚」もできたが ネットでのお相手探しはやめられない のような

 もはや「余暇」として ブームを利用する方が紹介されていたが


 「結婚」を真剣に考える方が

 このブームの終盤に 被害に遭われないことを願うのだ

 これは 結婚したいという願望を否定しない(最良のパートナーに出会いたいというのは当然だから)


 私の頭にある情報で「婚活」をこう定義する

 「結婚仲介業者(ネット上を含む)があり、かつ結婚相手を紹介するのだが、その業者はその相手の中に経歴等をねつ造している者がいることを承知(あるいは故意に紛れ込ませ)しており、その状態で顧客から紹介料を搾取している。そういった業者を利用する、結婚を前提とする行動。」

 この中で 被害に巻き込まれないように と


 数十年前 (結)婚(しようとするものがとる)活(動)とは

 女性にとっては 生け花教室だったり 料理教室に通うと言った花嫁修業 だっただろう

 男性にとっては 月給取りになって それを維持していけるか というものだったろう


 はたまた

 
 知り合い同士の紹介によるお見合いも あっただろう

 この知り合い同士 というのがポイントで

 決して 全く見も知らない 相性度外視(上の世代同士が知り合いということで相性は推測の相性だが)というのは なかったのだ


 人と人との縁

 先に挙げた定義の 「婚活」で 全く無縁の者同士が 

 結ばれる というのは 正直難しいと言わざるを得ない


 ネット上で「いいかな」と思っていても 

 必ず直接会う機会は やってくるのだ ゴールを求めるのであれば

 ごっこであれば 別だが


 先に挙げたテレビでも 感じたが

 先に挙げた定義の 「婚活」で 相手を探そうというエネルギーがあるのなら

 そのあなたは きっと 今の周りの人間関係の中で 「相手」を探せる 自分で


 その勇気が出ないのなら

 きっと「婚活」の準備が整っていないのだ まだ早いのだ

 じっと 待てばいいのだ 何年先か分からないが 


 「婚活したい」にきっかけはない

 いつ訪れるか 分からない

 「しよう」という思い でなく 「したい」という思いに代わるまで

 
 今の生活を楽しめば いいのだ

 ちなみに 私は既婚だが どうして結婚できたのか いまだに分からない

 二人そろって 優柔不断なのだが 

 
 時折

 休日どこに行くかも夫婦で決められない時がある

 「よく私たち結婚を決断できたよね」そう 笑う


 人生36年生きてきたが 独身のまま 充実した生活を送る方をたくさん見てきた

 「そういう人だって ふとさびしいって思う時があるのよ/だ」と言われるかもしれない

 ただ既婚者だって 夫婦喧嘩で嫌になることがあるだろう また一人になりたいと思ってもなれない

 
 人生数十年だが

 充実していたかどうかは 結婚で 決まらないのだ

 するかしないかは 人生という線の中の 一点の決断だ 進学か就職かの判断に近い


 「結婚」を選んだ私は

 これが より人生の幸せに寄与するよう 生かしたい 

 そう思う

 


 「婚活」という語感に 反感を持っている

 本当の縁は お金では買えない

 「結婚」は縁であっても 全てではない


 人と人とが結びつくことは 生きるために必要不可欠だ

 ただ それは 

 道で近所の方に言う 朝のあいさつのような ものなのだと 思うのである