「闘え。ラーメンマンととともに。」

 時に 必要だ

 勝つことが 必要ではない

 世に 「絶対勝ぁーつ!!」なんて気合いを入れる輩もいるが


 私が ソーゾーする 

 必要な機会とする ところとは 

 一線 違う 


 生きるプライド  尊厳

 どちらも 勝ち負けではない 価値のモノだが ひとたび 示そうと思えば

 「闘え。」という 言葉がぴたり


 
 世間一般の

 人と人との関わりの中では

 人それぞれが持つ 「位」のようなものが 「言葉」以上に 絶対視される空間がある


 「あいつは あんなんだから」と見下げられ

 何を言おうにも 受け入れてもらえない

 この格付けを 群れ社会の階級 とでも言おうか

 
 内面がこんな方たち けっこう ほんとにいるのだ

 
 腕っ節に自慢のある方

 論理明晰で他の人間が馬鹿に見えて仕方ない方

 これらに 給与面での「上流」がつけば 手に負えない


 
 
 考えたことを うまく言葉に出せない方

 いつも相手をたて 自分は最後でいい という方

 いつまでも そのままだと 爆発します


 水戸黄門

 北斗の拳
 
 古い?


 普段は もの言わぬ方たちが 悪を目の前にすると豹変する 

 「本気になったら怖いんだぞ」と

 逆さにすれば「本気になんてなりたくは ないのに」


 音楽も然り


 感情の爆発 感情のベクトルの大きさを何かで表現することに

 人間は心を砕き

 そのメインテーマとして掲げてきた


 あえて 逆に言えば

 人間の抱く心のベクトルを「直接な表現」では 形にできないと 悟ったのかもしれない

 より 多くの人間に 働きかけたいと思えば


 しかし


 人間が対するのは

 まず人間であり

 その 何らかの固まりを どうにかしたい と思えば


 まず 何かを伝えなくてはいけない

 自分の 思いを

 

 闘うこと 



 一瞬でも それは 大きな 一瞬であるといえる