「水虫」は「水獣」である。

 ある日、足が痛かった。見てみると、皮がむけ、触れると「激痛」。
 皮膚科に行くと診断は「水虫」。痛さから、「水虫」というのが、すぐには信じられなかった。
 正直ショックであった。
 「水虫」という「病」は、ある種偏見に満ちた「病」だろう。何を隠そう私も「そう」思っていたのである。複雑な思いで「闘病生活」に入った。数回病院に通い、去年の暮れやっと「完治」し、靴下をはかない久々の「快眠」(家族への「転移」を防ぐため)を味わった。
 ところが、である。
 大晦日、実家でお風呂に入っていると。「なんだか、しみる・・・。」
 見ると「皮」がむけている。皮の剥落は、「例の病」の典型症状。ふぅー。ためいきである。
 まだ年越しを目の前にして「薬局」に行き、薬を購入。「冬は(完治の)チャンスですからね」と「アドバイス」してくれたやさしい店員さんの顔は、忘れてしまった。
 見えない「菌」との戦いだ。「絶対勝つ」(こまめに治療すれば)のは分かっているけれど、「いつまで」というのが見えないのは、つらいことだ。「水虫」は辛くない(まぁ辛いのだが)。「見通し」が持てないことが辛いのだ。
 過去の「偉人伝」など読むと「○○は、そこでじっと我慢した。」なんて記述が時にあるだろう。「我慢」は一種の美徳で、いっぱしの人間の心得の一つ、と言うわけだ。しかし、「偉人」さんこそ、「ここまで」「我慢」すれば道が開ける、という「見通し」が持てていたはずだと私は思うのである。
 何かをなし得る、ために必要なもの。1つだけ挙げるとすれば、間違いない。「やる気(モチベーション)」だ。決して「我慢」ではない。「明るい先行き」があってこその我慢なのだ。
 あとどれくらい、靴下をはいて寝なくてはいけないのか。現実は厳しい・・・。