社会保険庁は「越後屋」か。~年金問題~

 年金問題。そりゃ大変ですよ。

 でもね、どうすりゃいいの。

 正しい情報を打ち直す以外、道はないでしょ。

 
 世の中への不平・不満のはけ口にこの問題がなっているようでいたたまれない思いなのだ。私は。

 そんなに「悪い」ことなのか。この件が。

 「大変」には違いない。


 このことが明るみに出、老後への不安、今まで果たしてきた責任が報われなくなるかもしれないという

不安感が生じた。

 それらに対しては、「不安を解消する施策」「責任を果たした(年金を積み立てた)報酬(?)として

実際に受けられる権利」の保障、「謝罪」が必要である。今実行中の模様である。

 
 「罪」というのは、それが「作為的」だったか否かで軽重が出る。

 また、「誰がこの事件で得をしたのか」というのは犯罪ドラマで重要なファクターだ。

 今回の問題は、果たして「社会保険庁、並びにその前身の団体」によって組織ぐるみで行われてきたも

のだったのか。何らかの利益が誰かに渡ったのか。


 私は違うと思うのだ。

 40年以上の集金体制。その間の技術革新(データ移管に関して他)。そして制度の変更。

 支払いを渋るが支給はされたい。当然だ。生きて行くには「お金」が必要なのだから。そんな実情。


 そんな状況を踏まえると、「社会保険庁、並びにその前身の団体」が組織として上手く機能していなか

った状況が浮かぶ。

 遠い未来への見通しが必要な事業なのに、時代の変化に後手後手に回った感が否めない。

 しかし、あえて責任を問うとすれば、それは「年金行政」を軽視してきた政府、そして分かっていなが

ら関心の無さを装ってきた我々国民に帰せられるのではないだろうか。


 高齢化社会が進む日本で、「年金」のシステムは必須である。

 働ける者が、働けなくなった方(これまで働いてきた方)の金銭的負担を担う、このシステム。

 「日本」を維持していくのに、間違いなく必要である。

 
 実は、国の予算的には「過去の納付分」というのはあまり意味を持たないのだ。

 問題なのは、現在、つまり今年度の年金収入と支出なのである。

 これが釣り合えばいいし、そうでなければ釣り合うように現状を変えなくてはいけない。


 思いつくところ

 「年金納付の義務化」
 「(収入に応じた)納付金額の差別(適正)化」
 「(過去の納付額に拠らない)納付金額の一律化」

 といった施策が打ち出されていくことだろう。「釣り合うように」しなくてはいけないのだから。


 社会保険庁の長官といったところで「決定権者」というだけで、何でもできるわけではない。

 実際の企画立案は、庁内の各部署が行っている。そして重要な決定は、政府からのトップダウンであ

る。

 「年金」は国政の最重点項目である。国民の生存に直結しているのだから。


 今は「責任」云々の状況ではない。

 過去の清算は必須だが、「これから」の議論が起こってくれることを期待したいのだ。

 これまで日本を支えてくれた人たちが、今後も元気に暮らしていけるための世論が起きて欲しい。