「つけそうで、つけない嘘」

私は、うそがつけない人間である。

 こう言うと、逆にいかがわしい感じが、書いている私にもする。

 しかし、まぁ事実なのだ。


 うそをつかないわけではない。

 しかし、つく場合は「明瞭」な嘘なのだ。

 うそと見破られることで新たな関わりの糸口をつかみたい時、なのだ。


 こんな私でも平気で嘘をつく時がある。

 それは、他の人のため、の場合である。

 他の人の不利益が関わってくる場合は平気だ。


 結局嘘をつくんじゃないか、と問いつめられると「そうです」と認めるほかない。

 だが、自分のこととなると、全くつけない。つき通せない。

 「素」以上にも、以下にもなれないのだ。


 今年もうそをつけなかった。エイプリルフールだったのに。