「初心」に帰る。

 何かを始めると、

 つい「始まり」の頃のことを

 忘れてしまう。

 全てを覚え、全てを自分のものにできていれば便利だが、

 いつか「狂う」かもしれない。

 自浄作用である「忘れる」ことは、必要悪。

 ありのまま ゆくがまま。

 
 でも時折「我に返りたい」と思う。

 自分の意志で。

 人に指摘されての「我に返る」は語感に反する。

 「気づく」ことだから。

 
 ブログを始めよう、と思ったのは、

 10年ほど前に読んだ小説、

 司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」がきっかけの一つだった。

 正岡子規が描かれている。

 それまで漠然としていた私の正岡子規像は、

 輪郭を持った。

 細かい説明は省くが、子規は短歌・俳句などの表現に対する価値観に「写生」という概念を持ち込み、

 確立した。

 その「写生」という考え方に、共鳴というか納得したのである。

 ここでいう「写生」とは

 対象を「ありのままにものを見ること」

 そして「あらわすこと」。

  
 今の自分は、どうだ。

 まるで正反対ではないか。

 虚飾に満ち、正論を曲げて伝える。形を変えても「伝われば」いいと思っている。

 
 このままでいいのか。

 何か始めたい。

 そう思っていたのだ。

 
 文才があるわけではない。

 覇気もない。

 でも自分なりに始めよう。

 そう思って始めた。

 
 今「初心」に帰る時かもしれない。