「頼む・・・」

 人にものを頼まれた時というのは、「自己アピールのチャンス」だと考えている。
 頼んだ相手は、「すまない」と思っている。つまり、頭を下げているから、その「損(少し語弊があるが)」した分、断られた時は「不快感」をもって自己の気持ちの釣り合いを保とうと待ち(こちらの答えを)かまえているわけだ。どんな大人物でもそうだ。「他の人に頼もう」といった代替案的な考えですら、「この人でなく」といった、初めに頼む相手を(多少)卑下する意味合いが含まれる。
 だから私は、(犯罪以外)何か頼まれたら、ほぼ「うん(はい)」と言うことにしている。仮にその人の満足する結果を得られないとしても「頼まれたことに取り組んだ」という足跡は、残る。達成できれば、そのひとは満足する。その人にとって私の必要性が増すわけだ。そして多くの人間に、そう思われることは、集団の中で生きる私の「生活の質」高めてくれる。「快適」になるのだ。
 このように考えることは「利己的」「打算的」ではないと思っている。頼む方の立場から言うと、「必要だから」頼んでいるわけである。「困っているから」にほかならない。私もよく困る(けっこうある)。人間の生きる知恵なのだ「頼む(頼る)」ということが。「弱い」人間が生きていく上で、必要不可欠な行為なのである。みんなで「快適に」生きていこう、という考えが心の奥にあるのだ。