「目玉焼きの黄身は半熟で」

 おいしい目玉焼きを焼けるようになったのは何歳の時だろう。ポイントは無論黄身の堅さだ。小さいとき、「黄身」が嫌いだった。しかし、ある時(いつか忘れてしまった)「とろーりとした」黄身を食べてからは、こんなうまいモノがあるのか(身勝手なモノだが、そう思ったのだから仕方ない・・・。)と驚いた。以来フライパンを持たない頃から、「『半熟』目玉焼きを焼きたい」というのが、私の夢の一つとなった。なかなか難しいのだ。私の親は、なかなか「半熟」モノを作ってくれなかった。親が目玉焼きを焼いているときは、遊んでいた。遊ぶのを放棄して「作ってくれ」とせがむほど、「まめ」な子どもではなかったのだ。大学生になって、自分で取り組み始めた。でもできない。そもそも作り方が分からないのだ。本を買う金もない。立ち読みする「まめ」さはない。大体、卵をフライパンの上で割る、以上に想像力が働かない。今のように「インターネット」が普及していない時で、簡単に調べられないし・・・。そんな私は下宿に住んでいた。朝晩ご飯を作ってくれる。その下宿の目玉焼きが「半熟モノ」だった。厨房で焼いている姿を盗み見、悟った。「水入れるんだ!」
 それ以来○年。今はようやく「半熟モノ」を家族に振る舞えるまでになっている。評判は良い。ふふ。