今、気になって仕方ない・・こと
どうしても「伝えたい」・・こと
怒ってる・・こと
哀しい・・こと
何となく考えた・・こと
本来「発表」する、と思えば、なにがしかの「体裁」を整えなくてはいけない。
誤字脱字、言語表現の類から、類似のものがあれば系譜的な言及やこれまでの議論の総括的な記述が
ないと不親切・不適切になってしまい、「発表」そのものが認められないこともある。
しかし「体裁」を整えている間に、「自分の考えたこと」「言いたかったこと」が、かすんでしまうこ
ともある。「感じた」エッセンスから離れていってしまうのだ。
「ブログ」というのは、その「感じた」段階で「感じたこと」を「かたち」にできる媒体ではないだろ
うか。
「誰か」に「伝える」ことは、もちろんその存在意義の一つである。
ある特定の商品の「CM」にあたるものや、
特定の「思想」の流布的なことを目的にしているようなものもある。
私が注目するのは、
一人の人間の「頭の中」をそのまま表す、という側面である。
そんな可能性が「ブログ」にはある、と最近感じる