「型」にはまりつつある。私。

 「型」にはまった人間にはなりたくない。というのは、誰しも共通した思いではないだろうか。
 私もそうだ。「あなたは、こんな人だから・・・」という言い方をされたくない。
 ただ、「人間関係」という限定された環境で考えた場合、自ら進んで、私は「こんな人」というイメージを演じる場合もある。「なんだか、よく分からない人」という「私」では、相手が困ってしまう、不気味な印象を受ける、といったことがあるからだ。特に、仕事の場面でそういった事が多い。
 基本的に、「定形外」で、いたいのだ。
 自分の「価値」が決まってしまう(上がらない)という「怖れ」から、そう思ってしまうのかもしれない。
 ただ、そんな思いとは裏腹に、最近「型」を意識しだした自分も感じる。
 「経験」を使って考える・実行することが増えてきたように思うのだ。それ自体は「悪い」ことではないにしろ、「型」にはまりかけている表れのような気がして、おののいている。
 もともと「経験論」的な言い回しが嫌いだったのだ。未経験の人に「こうだったから、こうなんだよ」と伝えるやり方が、である。こういった伝え方は、「親切心」よりも「知ってる優越感」が勝る可能性から逃れられない。結局「共に考える」「生み出す」というのではなく、「一方的」な関わりになってしまうから、なのだ。
 何か行う時に、あえて「(経験を生かした)第一感」ではなく、選択肢の序列の最下層(経験がないこと)から方針を決めることもある。「型」から「逃れるために」。
 「じたばた」は嫌いではない。まぁ、あがいてみますか。年か。もう、逃げられなかったりして・・。