「2ちゃんねる」

 人間は集団生活を「より」快適にするために様々な工夫をしてきた。
 その範囲は、「技術的」なことから「精神的」なことまで幅広い。「QOL(クオリティ・オブ・ライフ~生活の質)」向上のため、全地球の「人間」が努力してきたのだ。
 その上に私たちは生きている。
 「インターネット」の発展は「情報」の分野での成果だ。
 24時間「情報」の網が敷かれ、好きな時に、その「網」の中へ手を入れ、「情報」を検索・発信・交流等が可能になった。実に便利な世の中であり、先人達の努力をありがたく思う。
 「2ちゃんねる」が話題になっている。
 キーワードは「匿名性」だ。
 「良い」「悪い」の議論は、既に言い尽くされた、と言っても良いだろう。
 後は、その結果生まれる「変化」だ。
 新しいシステムに新しい「規制」が必要なことは、歴史が教えてくれている。
 人間が「国家」という集団で生活する「知恵」を生み出したのは、いつだったか。イラク問題で揺れた中東にあっても「国家」という「枠」には、各々の単位で、きちんとはまっている。
 そして「国家内」での諸問題を解決するための「規制」が国家の「法」だ。日本では「憲法」。「刑法」「民法」・・・。様々な問題をうけて、その「規制」は細分化を余儀なくされている。
 「何」を守るために「規制」が必要か、というと、間違いない。
 「集団」の利だ。「集団」を維持していくために、というのが至上命題なのだ。大枠では「人類」のために。
基本的人権」は「何人も犯せない権利」として日本では「誰でも知ってる」ことである。しかし、これこそ「集団」維持のための一文なのだ。言い換えると「他の人」の「権利」を犯してはいけません、ということなのだから。
 「2ちゃんねる」というか「インターネット」に「規制」がかかる、というのは、当然なのだろう。「誰が悪い(犯人探し)」という問題ではなく。現在は過渡期で、新しい「規制」は当然必要なのだけれど、「じゃぁ、どんな規制かけましょうか。集団維持のために」という段階がすぎたところなのだ。
 今は「こんなことがありました」という時期で、今後は「こんな規制をかければいいですね。」の段階へと移行していくのである。
 人間が覚醒していられるのは、1日16時間か。その内仕事があれば残り8時間。食事1回30分で、残り6時間半。家庭の維持に1時間半で残り4時間。4時間しかないのだ。自由に使える時間は。
 1日4時間という時間のなかで、「ネット」に向かう時間は、どれくらいだろう。「自制」をもって臨みたい、と個人的には思う。
 前述の「こんなことがありました」のところは、使用者の「倫理観」の部分だ。
 「人間」は「原始時代」から「問題」を抱えてきた。古くは「生きる」ために。今は「どう生きる」か
になってきたのだが。「問題」はあって当然なのだ。どう解決するか、が「人間」の見せ場である。
 さて、見守りましょう。願わくば、今このように書かせてもらえている環境が、なくなりませんように・・・。