「虚構を渡るワタオニ。」

 出張も明日で終わり

 札幌も 土曜でおさらば かな

 今 両親の実家にお世話になっているのだけれど・・・


 
 単につぶやきですので ワタオニ ファンの方は 見ないで下さい 気にしないで下さい  



 夜の9時過ぎ 母親が

 「私 ちょっと2回でテレビ見てくるわ」

 父親もいなくなった


 かくして一回は 私だけ 

 居候は私なのだが

 なぜ一回で見ないのか もう寝るから 寝ながら ってこと?


 と思いつつまぁいいやと 思ったのだが・・・

 後から何を見ていたのかが判明

 見ていたのは「渡る世間は・・・」だった



 そう 私は大嫌い


 
 
 「嫌味」「いびり」「確執」「わがまま」の大盛りの世界の中で

 ほんの少しの「幸せ」を頼みに 人は生きていく 

 このシリーズはそう言いたいのだろう これが人生だと


 でも これ 人生ではないと思いません?

 人生はもっと難しくて 単純で・・・

 自分次第で 多くの変化が生まれる混沌の道なのだと


 親たちは 「そう これが人生よ」と共感しているのだろう

 それぞれの「大盛り」の中には それぞれのグループがあり

 結局は どの「盛り」に関わるグループも グループ内で養護され 生きる希望を失わない


 長く生きている分 親たちが 私の年齢との差以上に 修羅場をくぐってきたことは想像に難くない

 ある時は 暴言を吐き 傷つき 

 「それでいいのよ」と言って欲しい というのは分かる


 背景にあるのは過去に対する「贖罪」の気持ちだと思う

 それを「大盛り」の中でうやむやにし

 結局「いいのよ」ですませているのが このシリーズだ 

 
 様々な人間が 過去の悔恨の念を
 
 昇華させたいと願っている中

 「いいのよ」 で終わらず 人間しての「けり」のつけかたを テレビとはいえ示せないのか それが脚本家としての仕事ではないのか 視聴率のみを考えているとしかおもえない 「救済」になっていない


 私は 中年への道に足を踏み出している 「人生」というモノに対して考え始めた時期である

 「人生」とは「我慢」の連続であり それに耐えるべきだという思考に支配されている 

 実はそれは多くは仕事をやっていてたどり着いた境地であるのだが・・・


 とにかく


 今の私の世代は 「大盛り」に耐えられない 

 仕事中心の生活では あんな「大盛り」では仕事にならないからだ

 よく あんな脚本が 書けるなぁ とあきれる ビジネスライクに割り切って よくあんな・・・


 人の気持ちをもてあそんでいる ようにも思う

 「仮想社会」というならば もう少し 常識的な世界を描くべきである

 誰しも見るテレビなのだから


 私は この番組が始まると 見ない 聞かない を貫いている

 汚れる気がするから

 本当の「人生」もっとつらい かつ喜びに満ちている 「大盛り」だけの追体験はご免被りたい


 かんべんしてください

 正直 まだ続いているのが 信じられなかった

 スポンサーがつくのが不思議だ 


 当然 その商品は買わない 

 まぁCMも何が流れているのか 知らないのだけれど

 日本の映像文化の恥である