「心と心」

 「思惑」。

 誰しも持っている。

 各々の「思惑」を読み合いながら、皆生きている。


 自分の「思惑」をたてれば、周りの「思惑」が生きない、ということもあるだろう。

 器用な人はその狭間でうまく自分の「思惑」をたてていく。

 自らを貫けなければ「ストレス」もたまる。


 これまた器用な人は「ストレス」の霧散の仕方を知っている。

 人生は長いスパンだから、このやり方を間違えると、生きること自体支障をきたすこともある。

 自他の「思惑」を操れた時こそ、「人生を楽しめている」と言えるだろう。


 「操る」というのは、「(恣意的な)操作」「言いなり」の意味で使ったのではない。

 舵取りというか、乗り切る、という意味で使った。

 人間の心は、そう容易く思い通りにはならないし、なっても困る。


 ただ、少しずつ近付いていくのだ。たぶん。遠のいては近づきを繰り返しつつ。

 同じ集団で暮らすうち、人は知らず知らず楽に生きられるよう努力する。我知らず。

 自分は今、どの辺だろうなんて考える時がある。