「為末さんの運動会~東京ストリート陸上 丸の内で~」

 ミリオネアの件はよく知らないが、今回の計画については常に新聞で確認していた。

 なんとも不思議なことを、と思っていた。

 常識からいくとそうだろう。見てもらうため。そして記録に挑戦するために、大競技場で、そして他の

競技者と競技を行うはずなのだから。陸上選手は。


 今回の件は、大相撲の千秋楽が路上で行われるに等しい。本来あり得ない。

 目的は一つ。「見てもらいたい」だ。

 私はその模様を先ほどのニュースで見たのだが、十分にその目的は果たされていた。


 映像は圧倒的だった。

 最前列の観客との距離は、5メートルくらい。

 普段の道路が舞台だ。


 私は趣味でビデオの撮影をする。
 
 ビデオの撮影の決まり事として、「ズームはするな。自ら近付け」的なことがある。

 中国の天安門事件の際の写真で国際的な賞(だから良い、というわけではないのだが)を受けた一枚の

写真は、居並ぶ群衆の前列から、兵の銃口が光を発する瞬間をとらえたものだった。


 近い位置から撮影されたものは、その迫力が見る側に「絵」として伝わるということだ。

 今回私が見た「絵」は、街路を疾走するミスマッチも加え圧倒的なものだった。

 「陸上ってすごいんだぁ。」と自然に思えた。為末さんの狙ったことをそのまま私は感じた訳である。


 素晴らしいイベントだったと言えるだろう。

 ただ、このイベントは、一回きりのものにした方が良い。

 競技者が企画・運営するイベントとしては。

 
 競技者が挑むのは自己記録の更新だ。

 だからこそ、競技者に私たちは釘付けになる。

 本当は、こんなことをしている余裕はないんだよ、と為末さんは思っているに違いない。


 自ら「広告塔」を買って出たことのは、陸上界全体の危機感を感じているからである。

 本当は「陸上って面白いんだよ」と全国の少年少女の間を駆け回りたいところなのだろう。

 でもそんな余裕はない。自らも選手なのだから。そんな気持ちから出た苦肉の策。立派に成功させた。

 
 陸上競技というのは伝統がある。

 活動をとりまとめる運営の手法もまた、伝統を持っている。

 見守る聴衆、並びに当事者である競技者の意識は変化しているのに。


 為末さんの行為は、一種過剰なまでの危機感から生まれたのだろう。

 ここまでしなくとも、歴史的側面から見て陸上が廃れてしまうということはあり得ないからだ。

 しかし、「何かできないか」という思いが一つ実を結んだことを私は単純に喜びたいのだ。
 
 

 陸上というのは、切ないスポーツだ。モチベーションの維持という点においてである。

 毎週試合があるわけではない。あれば身体を壊しかねない。

 オリンピックは4年に一回だ。しかも厳しい国内選考。
 
 自己ベストを毎回出すことなどありえない。

 人間の肉体はそうやすやすと限界領域を拡大させてはくれない。

 少しの不調で簡単に体のバランスは崩れることだろう。

 「食って行かなくてはいけない」現実も彼らを縛る。


 痛いほど陸上界の現状を感じさせてくれるイベントだった。

 頑張って欲しいなと素直に感じた。