「憲法改正国民投票」は「法案」としてアリ?

 議員さんたちが出したわけです。

 議員さんたちは、投票によって選出されているんです。

 投票によって選ばれた人が、「投票で決めよう」という法案を出したわけです。何か変でないですか。

 
 「憲法」は、全ての最上位に。そんな理念があったのでしょう。始まりに際して。

 改正が「議決」でさえもできないシステムになっている。

 替えること、換えることを許さない。そんな先人の思いが遺言として生きているのです。今なお。


 「国政」というものは、大変です(ひどくざっくばらんな物言いですが)。

 例えば、北朝鮮という国にどう対処するのか。これは国政の内の外交です。

 私たち国民一人一人が、北朝鮮という国に色々な思いを持っています。

 それらの民意を集め(踏まえ)、北朝鮮に対して「こうする」と決めるのが政治家の皆さんです。

 国民一人一人に「どうしようか」と尋ね歩いていては、1年あっても足りません。

 「国政」が機能しなくなります。

 
 「民主主義」という「民意」を「国政」に反映するシステムは、民意をいかに素早くくみ上げて「国

政」に生かすか、という命題を常に中心に置き、進化してきました。

 選挙によって代表を決め、そこからまた代表を決め、そしてまた代表を決め・・・。

 ついに首相を決めるわけです。

 議員さんたちのピラミッドは、私たち国民の縮図です。

 「日本人」を仮想の集団(議員の方々)に置き換え、そのスリム化した集団で「国政」を能率良く運営

していくシステムなわけです。「国会」とは名前の通り。「国民が全て集まって開かれた会議」を模して

いるのです。


 「国民投票」というのは、上記のシステムを度外視して、「やっぱりあんたたちも考えてよ」と、サイ

を国民に戻そうとする取り組みになります。この件に関しては、改正という「タブー」について、考えて

くれ、と。

 国民が判断した、と見なせるわけですから、投票によって認められた案件については、これ以上ない

「言質」が得られるということなのでしょう。


 安部首相さん、そして自民党の方々は、「憲法改正」がしたいわけです。

 既存のシステムで「改正」に踏み切れないから、こういった法案が出てくるわけです。

 確かに「古い」憲法で、時代に即応した「国政」を行うには色々不都合もあるのでしょう。

 
 しかし、「国民投票」というのは、「政治家」や「議会」が不要、といっているようなものではないで

すかね。また、「古い」憲法の創世期、何があったかを。

 先人は、意図的に、こうしたのではないか。まさしくその通りでしょう。


 これが「法案」として出てくること自体、選挙で「議員」さんを既に選んだ私としては、どこか変な気

がするのです。ちゃんと仕事して下さいよと。国民の代表として・・・。できる範囲で。