「松坂投手は嫌いなんだけど・・・」

 理由が明確でないけれど、嫌いだ。具体的には「語る」ところが。もともと自信満々の人を好まない、ということもある。その「自信」はどこからくるのか。100パーセント「可」なんてありえない。といった「反骨」の気分からくる「嫌悪感」である。
 しかし、「松坂投手」に関するニュースは不思議と集まってくる。知らず知らずのうちに、アンテナを張っている。「行為」自体には、とても関心があるのだ。「夢」の実現というか、その「スケール」の大きさに。まぁ「お金」の大きさである。
 「大金」を手にしたい。という気持ちは誰にでもあるだろう。無論私にも。お金が必要な訳ではない。ただ、自分がしたことの代償に「大金」がつく、というのは、その「行為」がある種認められたことを意味する。「お金」というのは昔から、「同等のもの」と引き替えられることで、その歴史的役割を果たしてきた。自分の「行為」の「価値」をはかる「ものさし」のひとつとして「お金」があるのだ。「同情するなら金をくれ」といったセリフがあった。「お金」という価値しか認めないという極端な言葉だが、通ずるところがある。
 目に見える形で他者に認められたいという願望が、「松坂投手」のニュースにアンテナを張ってしまう理由でもある。