久しぶりに1時間通してTVを見た。
新作映画に取り組む100日間の密着映像を核に作り上げられた番組だった。
番組の作り方はまず置いておき、貴重な映像だった。
「出産」シーンといってもいい。
宮崎駿さんが新作のイメージを「生み出す瞬間」の前後が含まれているからだ。
本当の出産もそうだ(私は生んでいないが)。生まれる瞬間だけではない。身ごもった時からその「瞬
間」そして産後、子育ての全てが「出産」と呼んでいい。
私が注目していたのは、その表情である。
新しいモノを「生む」時、どんな表情が現れるのか。
どこか超人的な雰囲気を漂わせている方だけに、興味があったのだ。
結果どうだったか。
やはり人の子なのだと思った。
これは、「常人」だと安心したという意味では全くない。
あれだけの作品を生み出すためには、やはりあれだけの「苦悩」が必要なのだと確認したのだ。
寿命を縮めているのは間違いない。「生み」の苦しみによって。
しかし、サポートしている人間の存在も感じた。
イメージの具現に力を貸す人。
衣食住といった生活環境に気を配る人。
情緒の安定の面で我知らず支援している人たち。
しかし、それすら「生む」瞬間には「邪魔」と感じてしまう宮崎さんの気持ち。
有名になってしまった今、年を取ってしまった今、全てが思うようにはいかなくなってしまった苦悩も
感じた。「無名」にもどり、年を若返ることができたら・・・。そう思っているのではないだろうか。
宮崎さんは。
「生みたい」という気持ちは、衰えることがないのだ。
宮崎さんがイメージしたものを形にしたい。
そう思うクリエーターの方々が、共に一つの目標に向かっていく様子が好印象だった。