「夫婦げんかは犬も食わない」

 この「犬」がかわいそうだ。大切なことを私に考えさせてくれる「先生」ということで、「犬」にはここへの登場を許してもらうことにしよう。さて、この言葉。そもそも、その「理由」にしろ「結果」にしろ、夫婦間のことなんて、どうしょうもないことでしょ、ってことか。結局は(共に生きていくパートナーなのだから)仲直りするんだから、という意味合いが、この言葉の底にあるような気がする。
 「けんか」ってなんだろう。仮に「けんか」を「相手を(心身共に)傷つける行為」と定義するのならば、無論あってはならないことである。しかし、「けんか」を「自分の考えや行動を他者に理解してもらうための行為」と定義するならば、これは必要である。「暴力」とは正反対の行為である。なぜ、正反対なのか。「暴力」は振るう相手・モノ(かんしゃく)に何らかの意図があって行われる。そして、その相手には、「選択」「決定」がない。振るう相手の意図を「理解」する余裕も与えられず「服従」のみを求められるからだ。
 一人っ子だから、「自分勝手」というレッテルを張られた人がいるだろう。けっこう当たっていたりする。「兄弟(姉妹他)げんか」は、先に触れた私の「必要」な「けんか」のカテゴリーの一つである。うちにも小さい「きょうだい」がいるが、毎日「けんか」ばかりだ。私は、「裁判官」「傍観者」「(どちらかの)味方」という役回りを取っ替え引っ替え行っている。小さな子どもの場合は大変だ。何せ「自分の意図」というものが、はっきりしていない。それを相手に分かってもらおうというのだから。相手が同じ世代の子どもなら、余計に大変だ。同情してしまう。成長するって大変だねぇ。我が子よ。ただ、この「けんか」、「夫婦げんか」と同じだ。家族なのだから。