子どもが釘付けになる。
自分の心の内で「視聴率」という判断基準がある。
その人の気持ち・自分の気持ちがどれだけ指向性を持って対象を向いているか、という指標だ。
100パーセントに近い。
特に新しい作品は。
宮崎駿さんのアニメである。
アニメはどれも同じだ。
実写ではない、という点で。
実写では、一つ一つのモノについての説明がいらない。
見たモノは見たままである。
人工物なら、どこで作られたのか。
自然のモノなら、どこなのか。
見るだけで大体理解できる。
「撮れた」だけで、その「モノ」はこの世に存在しており、その存在を疑うことはないのだ。
しかし、アニメは違う。
映る「モノ」は、全てつくりものだ。
実物に習うならそっくりにしなくてはならない。
現実にないモノなら、「これは、こういうものです」という言い方に拠らずに作品の中で説明しなくて
はならない。限られた時間で。
一つ一つの「モノ」の「リアリティ」がその作品の世界を決める。
その「世界」がある、と思わせただけで、アニメとしての作品の目的の一つは「達成」といっていい。
その「世界」への配慮が、作品の深部まで及んでいた場合、「名作」になる可能性がある。
限りなく現実に近い作品もある。
服装、習慣といった文化的な設定が既存のものを主にしていれば、後は話の中身が問題だ。
ただ、世界観の「リアリティ」の問題はクリアしているから、「つくりやすい」と思う。
意外に作品の「世界」に影響するのが力学的法則や産業の発達的側面だ。
「かぎ」といっていい。
うちの子どもが日曜日好んで見るアニメを見ていると、人間が「超自然的パワー」を発動(笑)するも
のが多い。なぜ大人が、主な視聴者にならないかというと、「面白さ」云々ではなく、その「超自然」に
「リアリティ」を感じないからだ。
「これはあり得ない」と感じると、とたんにつまらなくなる。
話自体は良くできていると思ってもだ。
車・飛行機などの乗り物についても、「進化」の過程で「ありそう」と思うものであればいいのだが、
「これは無理してるな」と思うモノが出てくると、興ざめしてしまう。
想像力の豊かな子どもの感性に助けられてる(番組の存続が)なぁ、と思うのである。
宮崎さんが最も踏み込んだ作品作りをしたのが「ナウシカ」だと思う。
舞台自体は全くの空想ではなく、現代から○年先、という設定がある。
前述の「リアリティ」の要件をことごとく満たしている作品だ。
「時間」の流れを感じる作品である。
10年前の「風の谷」。
10年後の「風の谷」が何となく想像できてしまう。
「漫画本」の方がよりすごいのだが。
いい作品はいい。
子どもが釘付けになるのも納得だ。
私もそうだった。