「電子化」できない「賞状」

 紙だ。

 原価はいくらだろう。

 文房具屋さんに売っている。白紙のものが。

 使われる場面を想像して値踏みする。

 その値段は、思ったより安い。


 「何か」をなし得たことの「証明書」だ。

 文面はその内容であり、末尾にある個人・団体名は、内容の証明を引き受ける責任を負う。


 「電子化」の波が現代を覆い始めている。

 新聞ですらそうだ。小説も。漫画も

 活字のもので「電子化」の波を全く受けていないのは、「賞状」くらいではないだろうか。

 
 手に入れた人にとってのみ価値を持つ。

 そんな特殊性もある。

 持っている人に「いいなぁ」「すごい」と本心から言いつつ、自分が、もらっても仕方がないモノ。

 
 後戻りできない「時間」の中を私たちは生きている。

 キーボードを打っていた3秒前のキータッチは再現不可能なのである。

 過ぎ去る時間の中で、「思い出」だけがそれを半分可能にしてくれる。

 振り返って追体験ができるのだ。

 

 「思い出」として残るものは、自分の意思ではなかなか決められない。

 たった今経験していることを10年先に覚えている保証はない。

 「いい思い出を作りたい」とは常々思うけれど。

 「瞬間の思い出」となるとさらに難しい。


 あの日あの時あの場所で、こうした。

 「賞状」はその最小構成要素を示すモノだ。

 だが、それをきっかけに持ち主は全てを思い出せる。

 50年先でも覚えていられるかもしれない。

 もし忘れたとしても、文面から調べることができる。


 「賞状」とは「記憶」なのである。