松本零士さんの漫画、銀河鉄道999で、「時間を食う」という「行為」について、一つの話の中で触
れられていたように思う。
空いた時間をいかに過ごすか、という命題である。
主人公の星野哲郎(字、正しい?)はそれがとても得意だ。
どれだけ空いた時間が出来ても大丈夫なのである。
「人生、充実していた」と死ぬ直前に思える人は、いるのだろうか。
「やるべきことは皆やった」「もう思い残すことはない」などと本当に思えるのだろうか。「死」の瞬
間に。この問いに対して、私は明確な答えを持っていない。
ただ、漠然と、「自分はそう思えないだろうな」と感じる。
さて、空いた時間。星野哲郎はどうするのか。
「何もしない」のである。
眠くなったら寝て、起きたかったら起きる。歩きたくなったら散歩する。
「あるがまま」を「したいまま」に生きるのだ。
「時間に追われる」生活に慣れてしまうと、「空いた時間」が「空」でなくなる。
「空」に何か目的を持たせようとするからだ。
方向性のある行為。「ゲーム」「仕事」「レジャー」「・・・」。
結局それは「時間を食う」ことではない。「時間に食われて」る。
「生きる」ことを感じる方法。なんだろう。
のんびり 生きたい。「時間を食い」ながら、そんなことを漠々と考えて。