「F22」に思う

正直に言おう。

 「かっこいい」と思ってしまったのだ。無駄のない形、その性能。

 「今」の「最高」を盛り込んでいるのだから、当然といっていいかもしれない。

 
 「兵器」に「グッドデザイン賞」が贈られたことはない。たぶん。
 
 「兵器」として生み出されたが故に、「製品」としては一生(?)その価値を客観的に認めてもらえな

い。哀れだ。

 

 「戦争」のために生まれた「兵器」。

 「兵器」が作られる過程というのは独特だ。

 「国家」がその主体である。

 全てが機密で守られ、それを漏らした者は単なる盗み(窃盗ももちろん重罪だが)として扱われない。

 「国家」を危険にさらした、となる。「被告人」ならぬ「非国民」扱いだ。

 どんな民主国家であっても、そうだ。「防衛上の理由から」というシークレットゾーンが存在する。

 「知る権利」の上位に位置するわけだ。

 理解できるが、残念だ。

 国家として、それだけの「力」を持ちながら、戦争以外に使えない「力」がである。

 軍事用から民事用に転換が許された技術というのは、意外とこの世にある。

 そして役に立っている。

 人がモノを作り出す力には、限界がない。際限がない。

 そのベクトルは「どこ」へ向かうのだろう。