終戦の日に。

「バトルロワイヤル」という映画をごらんになったことがあるだろうか

人と人とが殺し合う という あってはいけない状態に際し

人がどうなってしまうか という この物語


「狂気」というものが存在し

それは とんでもない ということを理解できる方のみの視聴をおすすめするが

傑作である


それは「どうなってしまうか」に「リアリティ」があったからで

「素晴らしい作品」という意味ではない

家族と共に見たくない映画のベスト○に入る






「戦争」のことに思いを巡らせた時 

上の映画のことが頭によぎった

少し調べると 原作のイマジネーションの中に“戦争”があったという  やはり。



数年前に アメリカの大学で行われた ある実験についてのニュースがあった

被験者を 刑務所の「廷吏役」「囚人役」に分け

それぞれの役割における 精神状態の推移を追ったものだった


結果 どうだったと思います?

双方ロールプレイであったにもかかわらず

それぞれの心は 病んでいったのだそうです


昨日(一昨日か) 某NHKで 旧日本軍の終戦期における軍事裁判に関わるドキュメントをやっていた

飢え 指揮系統の崩壊 絶望的な戦況… その時期の日本軍内部の環境は まさに「極限状況」

その真相は 少しは知ったつもりでいた私の知識を大きく超えていた


が 一面想像通りであるともいえたのだ

「人は そうなってしまうだろう」

と。


個人レベルで考えると    絶望する

数多くの 心ない言葉 行状 が

ほんの少しのストレスやきっかけからすぐに生まれている この時代 


私たち現代人は 戦争を防げるのだろうか 

とても防げない と思う

一人一人が 行動していては


だから国家というものが存在し

国家間のパワーバランスが保たれるような構造があり

「これだけ」の争いで 済んでいる


国際社会は 良くやっているのかもしれない 

なんていっても

「これくらい」しかないのだから 


しかし

「これくらい」で

毎日人が死んでいるのだ 



「一人の重み」が


本当に理解される日に向けて


また明日 生きていきたいと





終戦の日に考えていた。