「ウサギ論法」と生きる。

困ったモノだ と思いながらも

どうしたもんか と考えている自分に

結構前向きだなと 自画自賛しながら


そんなことも知らずに

気持ちよくなっている方が

目の前にいる。


きた。「ウサギは白い論法」だ。略して「ウサギ論法」。


自分の結論があって それを“論法”を用いて

相手に納得させる

というのは よくある形であるが


こりゃ「論法」でない。


論法でない論法で 論法よろしく 結論が出され 相手に「~だろ」というのが ウサギ論法だ

これこそ正に

ワイルド



ここで使用例を


「だからな (一般に)ウサギは白いだろ」   「そうですね。白いですね」

「でも俺のウサギ今日汚れて黒くなったんだ」 「そうですか…。お気の毒に」

「でもよ ウサギは白であるべきだろ」    「そうかもしれません…ね。」



「だから お前 今俺のウサギ 洗ってこいよ」



特殊な思いを願いを「一般常識」でもって

論理付けたことにして

相手に自分がしたくないことを促すべく働きかける このウサギ論法


ウサギ理屈を複数に分けたり 言い換えを行いながら

論理の飛躍の箇所を見えにくくし

結果 「発散」しか残らない という このウサギ論法に







いささか辟易している。