この歌は
さよならは
さよならじゃなくて
はじまりの言葉だと
おとなの私たちは知ってはいるけど
実際
さよならと言った すぐ後に
そんな達観した見方が
不可能であることも
周知の事実である
そう思えた時は
自分の心の中で その「事実」が変化したことを意味する
事実は事実のままだが
「受け入れた」という段階は
私たちの心に必ず訪れる
たとえ その瞬間が 遙か遠くで 知覚できないとしても
次へとつなぐための「何か」は
別になんだってかまわないし
何であるかは分からない
細胞の一つ一つが
おまえが絶望したら
おれどーすんだ という悲鳴を上げるのかもしれない
ひとは 立ち直れるものだ
(客観的に 立ち直ったことではなくただ その人が 前を向いて生きる気力を取り戻すとの意味で)
そう信じて
明日も生きていこうと思う
と思わせる歌である。