「臓器移植法案という答案。」

 諸刃の剣だ この法案

 どれだけ 議論しても

 正答はない


 なぜなら


 臓器提供者は「死」が確定し

 臓器被提供者は「生」を得る場合があるからだ

 片方に 絶望があり もう片方に 希望がある


 私はERというアメリカの医療ドラマのファンだが

 そのドラマの中でも 常に描かれる モチーフである

 臓器移植最先端の米国ですら

 
 映像の中では 葛藤が描かれる

 先に挙げた 両サイドの 思いが描かれ

 「生」を得られれば その感動が協調されたエンディングになっていくのだが


 「死」が確定する側へのディテールも 丹念に映像化されている

 まさに50/50

 制作者は その答えを出す というよりも


 医療の進歩と 「生と死」

 あくまで 「今」をありのままに

 表現することに 力点を置いている


 臓器移植が 是か非かに 結論を出そうとは していないのだ


 結局 「法」がなければ

 とにもかくにも 実施できないわけで

 我が国が 臓器移植について 真剣に考える場を この法案は作ったと言える


 臓器移植について我々日本は どんな結論を 出すのだろう

 あくまで この法案は 許可であって 励行を求めるモノではない

 家族が 自分が 「No」といえば 実施されないのだ


 私自身は 選択肢が増えることは マイナスではないと考える

 対象とされる 子どもが

 前もって 「ドナー」になることを 希望する ということは まずあり得ない が あり得た場合


 たとえば 何か 捨てばちになっているのかもしれない 命について 何か感じたのかもしれない

 こうして 子ども と呼ばれる人たちが 発信する機会を持つのだ 

 「ドナー」の可能性を持つ 一人の人間として


 ただ 私は 娘が 「ドナーカードを持ちたい」と言ったら

 「大人になってからにしなさい」と 言うだろう

 その背景の中で 「命」というものを 親子で語る 希な機会となるのではないだろうか


 その思いが 真摯なモノである と思えば 許すかもしれない

 
 この法案は 生か死かという 観点ではなく

 「生とは何か」を考えるモノとして

 私個人としては 賛成票を 投じたい