「偏る」

 年上の人、それもかなり上の人と話をする時、私は不思議と落ち着いた気分になれる。同世代か小さな子どもと話すときと比べると、である。ルールを守っての話だが。
 私見だが、おじいちゃん・おばあちやんという人たちは、だいたい何かに偏っている。考え方や、行動等々。彼らは皆、「人生」という長い道のりのなかで、数限りない決断を重ねてきている。そのなかで獲得した行動基準というか判断基準が、彼らを「偏らせて」いるように思う。彼らの「基準」は見事なものだ。生活の中でその「基準」を適用することで「自分の人生」が不自由なく回転していくようになっている。私が若い頃求めていた「理想」というか「不変の価値」に通ずるところがある。
 おじいさん・おばあさんにとって、話し相手の「私」は、どうでもいい人である。彼らの生き方(判断基準)に何ら影響を与えることはない存在である。だから彼らは「素」のままで私と向き合ってくれるのだ。それが居心地の良い理由なのだろう。私は、彼らがどういった人生を経て「偏ってきた」のかを聞き出すために彼らの前に立ちたいのだ。私の人生を豊かにしてくれる、彼らの前に。
 ちなみに私が彼らと接するときのルールとは「自分の素性(年齢等)を初めに言う」「相手の話を遮らない」である。あたりまえのことでもあるが。