「北京五輪に。」

 始まった

 真面目にオリンピックを見た という記憶は

 ロサンゼルスからか


 たくさんの選手達の思い

 見守る家族の願い

 取り巻く自国民の祈り


 様々な 思いが 交錯し 頂点に向かう

 人間の限界とは 底知れぬモノであり

 限界への挑戦が 「本能」から出ている と感じさせるもの


 それが 私にとってのオリンピックだ


 ナショナリズムの語感は

 多くの場合ざわざわする感懐を誘うが

 オリンピックでいうもののみ それは 純である


 成功を祈りたい

 ここで言う成功とは

 無事に大会期間が終わることである


  
 テロの標的に といった声明も出ている

 そんな思いまで オリンピックに と

 悲しくなる


 人間という「種」の進化への挑戦

 
 
 
 落ちついて見守りたいのだが