「刺してすっきり。なのか。」

 銃なんて 手に入るもんじゃない

 いくらなのかも知らない

 途方もない 一市民には


 いかに 安易な一発で人の命が消えるとはいえ

 敷居が高すぎる

 「安易」なだけに 想像力も沸くはず  撃ったら 死ぬ の2段階


 対して 包丁は 百均で 買えるほどの簡単さ

 簡単に人の命を奪えるだけに 銃と同様の 想像力も 沸くはず

 刺して 死ぬ と

 
 刺して 死ぬ と 恨み すっきり のおのおのの2段階は

 釣り合うのか

 正常な人なら それがどうか すぐ分かるだろう 


 「刺したら」の一段階すら真面目に考えていない もはや ・・・人間ではない


 「我が身をつねって 他人の痛みを理解しろ」


 先人達は こんな簡単な言葉で

 我々人類が ごくごく簡単な道を 踏み外さないよう

 戒めてくれている

 
 理解しがたい「相手の気持ち」なるものを

 自分にとってわかりやすい 自らの痛みを取り上げ

 「相手への危害」に限定して 戒めてくれている言葉だ


 今回の 卒業生が元担任を刺した という衝撃的な事件 に当てはめれば

 「我が身を刺して 他人の刺された痛みを・・・」となる

 この犯人が 自分を刺してから 行為に及んだはずはない 

 
 刺したら どうなる という

 ごくごく簡単な想像力すら なかったのだ 

 他人の痛みなど 創造する価値もない と思っていたに違いない この人は


 対して 自分の身が 今後どうなるのか ということについては

 十分に想像していた と思う 逮捕については 

 その逮捕を 待つように敷地内に留まっていた形跡があるからだ


 自分の逮捕に伴う痛みは 理解し

 納得していた という点で

 許し難い この犯人は 


 自分だけ


 自分だけ


 すっきりして


 この人は 刑期を終え 社会に戻る


 
 すっきりした顔で 外に出て



 「悪かったあいつを刺してやった」という達成感で満たされた この犯人は


 
 「殺人犯」という新しい皮膚に覆われて生きることが


 
 どれだけのことなのかを



 想像もできずに いることだろう