「やってられない。」

 ちゃぶ台返し

 ロックンロール(違う?)

 火事場の馬鹿力


 等々


 怒り というのか

 やるせなさ というのか

 もうどうにもならん!


 何か 放たれる 迸る思いに満たされた時

 人は規定値以上の力を放つものだ と考えたことはないだろうか

 限界を超えて・・・と


 こういった思考は

 人間が自然に「教育」されてしまうTVにおいて

 より醸成されてきた


 ウル○ラマン

 N○K TV小説おし○ 等々

 各時代において 


 確かにありそうだし 否定はしない


 ただ

 
 その「力」を
 
 人間の「真」の力(こういった言い方は宗教がかっていて 敬遠したいところだが)と考え

 その「力」を崇めようとするのは間違いだ と思う 


 映画「シンドラーのリスト」だったか

 こんな場面があった 

 
 ナチスの司令官が工場内を巡察している

 
 ふと立ち止まり 一労働者に対して 担当部署である部品の組み立てを目の前で行うよう指示する

 その労働者は 素晴らしいスピードで部品を組み立てた

 私はこんなに有能な労働者です と言わんばかりだ

 
 その指導者は一旦は 感嘆の気配を示しつつも

 冷徹に 部品入れを(朝からの作業量を示す)指さす

 その中には たった数個の部品しか入っていなかったのだ


 

 人間は 機械 ではない

 100%120%の力を常に発揮できない

 やりゃ できるのは 分かっている


 しかし 

 人の「真」の力というのは

 その人が 普段着の ぼーっとしている時の力を指すのではないか

  
 そんな風に

 なんにもならないことを考えてしまう
 
 今日この頃です
 
 

 のんびりしたい・・・との現れです・・・