NHK「行く年来る年」必要論

 この番組は、私にとって必要である。
 壮絶なカメラワークはない。有名俳優の決めポーズがあるわけでもない。しかし、物心ついた時から、私は欠かさず見てきた。内容も一見平凡だ。内緒に去年の再放送をしていても気付かないかもしれない。
 数年前、静寂の佇まいを「狙って」撮ろうとしてNHKがやり玉になった事件があった。
 番組・映像等を流す上で、制作者が視聴者に「意図」を持つことは当然である。まして、「来る年」まであと15分なのである。強烈なメッセージを込めたいはずだ。「行く年」「来る年」に思いをはせていたのを妨げられた人には申し訳ないが、私は、この事件をある種「合法」と思ってしまったのだ。
 「礼」の前には誰しも姿勢を正す。「く」の字では、「礼」ができない。「行く年」さん「来る年」さんに実際に頭を下げるわけではないから、「気持ち」の問題なのだけれど。
 誰しも「行く年」に悔恨の一つや二つあるだろう。「全てうまくいきました」なんてことがあり得るだろうか。私にはない。「行く年」の悔恨を振り返るのに「15分」でたりるのか。本当のことをいえば、足りない。しかし、「なんぼあっても足りない」のである。本当は。
 「来る年」に「礼」を「決める」ために、今年も11:45にTVの前で座っていたいと思っている。