「消費者を再び恋人にできる?」~石屋製菓問題~

 白い恋人 

「おみやげ」というタグを外し コンビニでも売っていて欲しい そう思わせる菓子

 私は北海道在住だが このお菓子がなくなってしまうのかと思うと ただただ悲しい


 「やってしまったことは 取り返しがつかない」こと なのだろうか

 私は そんなことはない と思う

 仮に何十年たとうが 新しいスタートが 誰にも用意されるべきだ


 「食品メーカーなのだから・・・」という厳しい指摘 確かにそうだ

 しかし「組織」という点において、「メーカー」と名のつくものはそう変わりないものだ 食品だろう

が電化製品だろうと「製造責任」は当然だ ただ「食品だから」その責任が一定以上というのは疑問だ

 必要以上の非難が石屋製菓に向けられている と私は感じる


 挽肉問題の後に続く食品製造分野での不祥事(あれは論外)

 そしてほれ まただという 一斉砲火

 私は気にくわない 「人は誰かを貶めたい」のだろうか 人にはそんな本能があるのか


 組織故に 責任の所在が分散され 情報も一元化されていない

 しかし それが組織の良さでもあるのだ 積み上げてきた努力が全て水泡に帰さないという

 努力の上に成功があるという観点で かつ その流れを段階的にとらえたなら なにがしかの失敗があ

ったとしても ある一定の段階までの到達点は残しておきたい どんな組織も 「組織」である以上 

そんな自己防衛のやり方を 期せずして組織は持っているのだ 
 
  

 良い例とは思わないが 例を挙げる

 「戦争」という国家単位の集団のぶつかり合いの際 勝ち組が負け組を裁くことになるが

 結果「国民」が責任を取る という事態は 終戦の形としてはないだろう  

 
 賞味期限というのは 難しいものだ

 どうやってその期間を決めているのだろう

 缶詰の「賞味期限○年間」は その○年間毎日食べ続け お腹を壊した日の前日で決める 訳はない


 数年前だが テレビで ある安売りスーパーの話題が放送されていた

 安いのだ その秘密は

 賞味期限ギリギリの商品をあえてそろえることにあった  消費者にもそう頓着しない人がいる


 今回の件は 許されない事件であることは間違いない

 ノキアの携帯電話の電池のように

 「交換」では済まされないのだから

 

 しかし お願いしたい

 立腹されている方々に

 どうか 許して欲しいと

 
 今 石屋製菓は 自浄努力の真っ最中である

 その行方を 落ちついた目で見守って欲しいと

 道民の一人として