人は、日々「決断」して生きている。
ライターを持つ手はどっちなのか。ご飯はみそ汁から食べるのか。
軽重はさておき、「決断」には「責任」が伴う。
人生の岐路とも言うべき「決断」も中にはある。
あえて直感で決めたり、問題の大きさを考えてじっくり考える人もいるだろう。
「責任」をとるのは自分なのだから、その「決断」が自分に「ストレス」を強いないようなプロセスを
我知らず選んでいるはずだ。大人なら。
ただ、人間は生き物であるから、常にそういった決断ができるわけではない。
苦しい時。弱い時。
あえて逆の「決断」を導いてしまうこともある。
それが正しい「決断」なのか、誤っているのか容易に判断できない時。
そんな時、ふと立ち止まるのだろう。
「判断」から長い年月がたち、自我に変化が生じた時、雪崩のように「決断」の正否が理解できる時が
くる。
私は「決断」に「迷い」があれば、ひとまず棚上げし、上記の状態に辿り着くまで、熟考するようにし
ている。
「決断」にリミットがあり、先を急ぐ場合は頼るのは直感だ。
私は迷うと良いことがない。悩みを心に貯めるのがしんどくなってきているのかもしれない。