「サミットは露天風呂で~洞爺湖~」

 実は洞爺湖の近くに住んでいる。

 サミット期間は、日帰り入浴は不可だろうな、と思っている。

 さて、サミット。


 先進国首脳が集まり、何らかの決定がなされる集まり。

 形式的になってどれくらいたつだろう。

 いつしかサミットは形骸化の一途である。


 「事実」「緊急性」があって行われるものではないからだ。

 洞爺湖の次は?なんて事が一番の話題だったりして。

 いまや「有事」のための避難訓練的な集まりになっている。確かに必要だと私も思う。儀式として。


 「緊急かつ対応不可欠な国際的な案件」が出た場合、世界はどう動くのか。

 事態は、首脳が一堂に会すのを待ってはくれない。

 各国とも、情報収集の後、その場で判断できる全権委任のグループによって決定がなされ、その通りに

首脳が動くという流れだろう。少なくとも民主主義国家ではそうだ。

 
 サミットが形骸化している、という論拠はこういうことだ。
 
 もともと「一堂に会す」というのは、情報網の発達していなかった前時代の名残だ。

 国民同士が親近感を得るといった他の目的も加味され残っている。


 「美しい国」を目指す現在の首相さん。

 トップダウン的なアプローチで「洞爺湖」に決まったことは、その過程から明らかだ。

 「洞爺湖」が美しいかどうかの論議は置いておく。


 訪れた各国の首脳は、「美しい!」という感想を「公式見解」として残していくだろう。

 サミットは誘致国の参観日的な意味合いもある。

 「美しい」といわれ(ることが決まっている。)、「そうなんです。美しい国を実感してもらえました

か」となるのだろう。

 
 平和って素晴らしい。

 各国首脳には、ぜひ温泉で日々の疲れを癒して頂きたい。

 また来て下さい。洞爺湖に・・・。