「60000キロ」の後、残るもの

 車に乗りはじめて何年になるのだろう。
 私の最初の車は、白いセダン。マツダのマニュアル(5速)「カペラ」くんだった。
 
 大学3年生の時、「カペラ」くんは、私のところにきた。
 姉からのお下がりである。姉は父からもらったので、母をのぞいて家族全員の手に渡った、という、なかなか働き者の車であった。ちなみにパワーはないし、110キロを超えると「きんこんきんこん」と教えてくれた。「若者向き」ではないが、私は気に入った。

 「カペラ」くんが来た日、私は、往復240キロのドライブに出かけた。距離数は関係なかった。何となく行きたいところへ向かったのである。過去に乗せてもらった記憶を頼りに。
 それまでのドライブ歴と言えば、実家に戻った時の「ご近所ドライブ」か「遠征帰りの先輩車ジャック」くらいであった。「半くら」が分からず、左足は「くつ」をはかないのが、当時の私の運転スタイルだった。
 今考えると無謀なドライブである。道路地図すら持っていなかったし、「保険」のこともよく知らないのである。
 我が子がそんなことをしようものなら、驚いて止めるところだ。
 しかし、まぁ無事に帰ってきたのである。
 その日から、私の「行きたいところ」までいく「ドライブ」が始まった。
 とにかく「行きたいところ」にいくのである。もちろんほとんど淋しく一人だ。「危険なドライブ」のため、結果的に良かった。目的地に着いてもやることもない。なにせガソリン代しか持ってないのだ。特にやりたいこともなかった。その場所でそこの空気を吸って満足する、という「旅」だ。
 平日は、授業・バイト以外はちょっと遠出する。休みの前日は、おにぎり(ごはんだけ)をつくり、けっこう遠出する。そんな生活が毎日続いた。夜の12時に出発し、翌朝の10時45からの講義に間に合うように片道5時間の旅に出かけることもあった。「どこまで行けるか」という思いに駆られての「旅(?)」である。駐車場の野良犬さんと仲良くおにぎりの朝ご飯をしたこともある。あまり食べてくれず、がっかりしたのだが・・・。
 怖い思い出も多々作ってしまった。真冬の深夜、下り坂で除雪車を追い越したら、正面がトラックだった等々。おかげで、しばらくブレーキを踏んでも車が止まらない、という夢を毎日見て、毎朝おきたら汗びっしょりという時期もあった。今でも時々その夢を見る。
 不思議と深刻なマシントラブルはなかった。クーラントが減っているのに気付かず、オーバーヒートギリギリで煙を吐きつつエンジンを切って惰性でスタンドへ突入・・・くらいかな。

 大学卒業時には、メーターが、私の乗り始めた時から60000キロを超えていることを示していた。
 「トータル距離」は意識していなかったのだが、それが分かった時には「地球1周半かぁ」となんだか嬉しくなったのを覚えている。
 
 この文章を打っていて、また「遠く」へいきたいなぁと、思った。「遠く」へ。