オリンピックというのは
お祭りである
国を背負って頂点を目指す というのは建前であって
後付けの意味づけではないだろうか
そう
私は 思う
真のオリンピックとは
記録を打ち立てること
つまり 「人間」としての限界に挑むこと
国と国との戦争か
違う
いわば DNAの進化を目指すもの では ないだろうか
国母選手の着こなし一つに目くじらを立て
今 他の選手は 次にスーツを着る時の
ネクタイの曲がり具合に 競技に使うべき神経の数%を 使ってしまっているだろう
器物損壊の前科が スノボチームにあり
今回の問題と合わせてクローズアップされているが
これは オリンピック開幕間際の緊張感の裏返し ヒステリーに近い現象だと 思う
国母選手の成績が悪ければ
ほれ見たことかという見出しを
既に用意している マスコミ各社の仮版が 見えるようだ
ごめんで もういいじゃない
後は 見ましょうよ 何も言わず
DNAの
限界の祭典を