「献金と献血と」

 お金を渡し 利権を願う

 血を渡し そこにいない誰かの健康を願う

 並列に置くと トンでもないと お叱りをいただくかもしれないが 


 世の中 一方通行ということはない

 「ありがとう」「どういたしまして」

 言葉の中にも それは言える


 労働の対価として 人はお金をもらい 生活する

 そして 税金の対価として 行政サービスを受ける

 つまり 日々の生活も 自分たちの働きの フィードバックなのだ 当然のことだが 


 国民が 安全で 健康で ささやかな楽しみを味わうことができていれば

 その国は 国として 合格だ

 国民として その快適さの質を高めようと思うのであれば 増税を覚悟しなければいけない


 政治家とは その「僕」である

 私は政治家には なりたくない(なれない というところには 触れない・・・)

 好きこのんで「僕」たらんとする 希な人が 政治家である


 日々変わる情勢である

 であるから

 こんな政策を実行したい という希望実現の故に政治家でありたいという考えは

  
 存在しないと断言する 

 政治家になりたいという はじめの一歩でしかない

 政治家にまず求められるのは 即応性だからだ

 
 以上 前置き 


 政治家の願いとは 

 政治家で居続けることに尽きるだろう

 そのために 自分の存在価値を 選挙に向けてアピールする活動が 不可欠なのは 理解できる


 数年間の任期の中で

 その活動は 多くを占めなくてはならない

 次に落選しては なった意味がない


 何が 書きたいのか 分からなくなってきた・・・


 こう書くと 語弊があるのは分かっているのだが

 献金にナーバスになる必要があるのか と思うのだ

 これは 汚職とは 違うのではないかと


 各地域の政治家の後援会に 

 地域企業の名前が入っていないケースがあるか

 地方は もっと「生」だ


 いい政治をして いい国を作ってくれれば

 私は 国民として

 何ら文句はない