「新聞が新聞である為に。」

 新聞は なくてはならないニュースソースである

 毎日 読まない日はない

 全部読めた日 少しだけの日 生活に合わせて


 意外に重宝しているのが

 生ゴミをくるんだり 

 汚れそうな ゴミが飛びそうな 何かをする時に 下に敷いたり といった用途


 さて 新聞の中身について

 
 「○○新聞が休刊!」なんてニュースも よく目にする

 どれも部数減が理由であるが それは副次的な理由

 おもしろくないから が 本当の理由だろう


 朝○ ○経 を読んでいる なんてのが 

 ステータスシンボル になっていたのは遠い昔である 

 これだけの情報が 氾濫している時代 新聞に求められるのは 何だろう


 それは 出来事の掘り下げだろう と思う


 情報は 誰しも求めているのだ 

 早さ 中身 そこから生まれる思考(新聞で言えばその社のスタンス)等々

 早さであればネットにかなうモノはない 24時間動いているのだから


 ただ ネットの情報は ゴシップをのぞき 最低限の事実のみの情報が多い

 ネットのニュースのヘッドラインを選択し

 読んでみると すぐ分かる ほぼ見出しだけの内容なのだ

 
 新聞は 「考える人」が作っている

 一度情報に接した者が その情報を解釈し 今後の展望まで

 初めて情報を記事で受け取る者への影響までを考えて 「記事」にできる     はずなのに


 最近の新聞はどうだ


 .優奪筏事 と見間違えるぐらいの 薄いモノ

 型どおりの取材に返ってきた型どおりのコメントを 記事のメインにしているモノ

 3式のページ 広告(経営難の社には仕方がないのかもしれないが)等 ネットでの情報入手が当た  り前になっている情報なのに紙面の大きさは相変わらずなモノ

 
 ,呂茲見る 昨日ネットで見たものと同じ分量 とがっかりする

 △海譴魯縫紂璽垢噺世Δ里 「解釈」「提起」がなにもないものを「記事」と言うのか?
 
 今時 新聞を見て 株を買っている人がいるのか?読み飛ばすページを増やしてどうする?

 
 ネットによる 情報のやり取りに 警鐘が鳴らされている現代社

 
 凶悪事件を単なる事実と扱い

 その後社会問題化しても なんら深めて報道しようとしないネットのニュース

 その羅列が 「あっおれもやってやろ」と 安易な追随者を生む という側面は 必ずある   


 新聞が 本当の情報ソースとして復権する チャンスではないのか
 

 しかし

 新聞は変わらないのだ

 生ゴミの処理の時だけ ありがたみを感じるようになる  そんなことでは困る


 
 



 私 大学時代 下宿で一人暮らしを始めた時

 嬉しかったことの一つは

 自分だけの新聞を 手にしたこと である